再生方法

ダサさを曝け出して、自分を知るための場所です

ふっかつのじゅもん 其の十七

でっかい夢があって

その道筋を考えているうちに、小さい夢がたくさん生まれてきて

その小さい夢を考えるにあたって、もっと小さい夢がたくさん生まれて

そのもっと小さい夢は現実的なもんだから、それを叶えるために努力する

 

これが大体の道になると思うんだけどさ、どうしたってどこかをサボるとジェンガみたいに全部崩れて、そのうちに無理だなんだとか考え始めて、叶えられなかった時の言い訳を考える。そうして逃げて、負けていった人が、結局世の中には大半なんだと思う。

 

この場合、本当の敵って笑ってくる他人でもなくて、自分でもなくて、時間なんだ。

時間は平等に与えられて、誰一人としてその一秒は変わらない。

時間なんて見えないものに左右されるのはなんとも滑稽みたいだけど、もう少し早ければ遅ければ未来は変わったのになんて瞬間はいくつもある。そんな瞬間瞬間が積み重なっていって、一分、一時間、一日、一年、一生って流れていく。

 

この前、『「やる気」が出た瞬間にはとっくに「やる気」は存在していて、自分がその「やる気」に気づいただけだ』ってテレビで見た。

僕がやる気が突然起きて、ゴロゴロしているところから跳ね起きたところで、やる気の方はすでに僕を待ちくたびれてそこにいるんだよ。ってことは、やる気が発生して自覚するまでの間ってのは、やる気の存在に気づいていないだけの本当に無駄な時間なんだ。

 

時間という敵は、自分が有効活用して行動のための道具に変える必要がある。それに気づくのは僕じゃなくて、俯瞰した僕なのかもしれない。俯瞰した僕の離脱した自我が僕の体の中に戻ってきた時に、「あ、今やる気あるんだ」ってなって跳ね起きるわけだから、僕がその彷徨っている俯瞰した僕を見つけてやらないと、そのままどっかいっちゃって、変わるきっかけも夢も何もかもを見てないふりしなきゃいけなくなる。

 

夢への道筋は、俯瞰した僕をいつ取り込めるかにかかっているんだ。