出逢った時のことをよく覚えている。
なんとなくつけていたテレビ、アイドルのドッジボール、罰ゲームを受ける女の子。
たまたま初回だったようで、その後も何故か毎週見ていた。男装するメンバー、プロレスラーに泣き叫ぶメンバー。母親に電話するメンバー。
番組は1クールで終わり、面白い子達だったなぁ、と。
好きなラジオを聴いていた。オードリーが新番組を始めたらしい。オードリー目当てでテレビ東京にしてみた。
「ん?この子達…」
見たことのある顔だった。柴田理恵の真似をさせられた子、男装していた子。あぁ、ひらがなけやきか。
四年後。出逢えて良かった。そう思える日だった。
満開の桜の中を歩いてくるメンバー。光を身に纏うメンバー。踊り狂うメンバー。
見ているのはあの時に「ふーん」と言って見ていた子達だ。あの日出逢えていなかったら、多分僕は相当違う人生を歩んでいた。友人もおらず、何かこう、もっと暗い人生だったようなそんな気がしている。
高校から今でも繋がっている友人の多くは坂道経由で繋がっていたりする。
握手会にも行った。デビューの横アリには参加していない。当時、大学の後期日程があったためにライブ自体には参加せず、先にいた友人と共に生写真を買ったりしていたな。
話を戻すが、最初の推しは齊藤京子だった。低い声から繰り出される鋭い言葉と意図が伝わりにくい話し方は何か魅力的だった。
そこから18年の冬くらいに、”富田”が気になり始めた。どこか自信がないような、踏み出し方がわからないような、、、そんな彼女が頑張る姿に受験期だった自分はどこかシンパシーを感じた。
大学生になった僕は、気づいたらそんな子のタオルやグッズを買い揃えて追うようになった。
日本のアイドルが魅力的な点の一つに不完全性がある。
ジャニーズでも、坂道でも、地下アイドルでも、応援している推しがスターへの階段を登っていく姿に力をもらい、支えたいと思うようになることが日本のアイドルなんだなと。
まあ、最初から完璧なアイドルに会いたきゃK-POPでも見てるだろう。
んで、その推し、グループがついに来た訳であって、泣かないわけがない。
始まりの鐘が鳴り、東京ドームという無機質な施設に咲く桜の道をその子たちが歩いていく。
自分に自信をもち、胸を張ったメンバーたちは過去という風に押されてその道を通り過ぎていく。
その間には何度か推しの”鈴ちゃん”が近くに来ていた。
ペンライトを振る手は動かず、ただそこで羽ばたく推しをじっと見ていた。
(中略)
ライブも大詰めになり、「君が微笑むだけで」という詞が始まった。
毎回、色の案を事前に受け取っているものの感動する光景は、考案者が一番感動することだろう。
それは東京ドームならなおさらで、詰めかけた5万人が乱れることなく各々の色を遂行している。私は暖色の側にいたが、対岸の寒色はまるで夜景スポットをはるかに凌駕するような、そんな美しさを作っていた。
優しい歌詞に美しい光景。そんな歌を歌える気分ってどんな感じなんだろうなんて考えていたら、間奏でスピーチが入った。そして花道は光を、メンバーの体に集めた。どこか卒業生の退場を思い出させるような拍手と行進には、皆がそこに意志などなく、心の底から動かされているんだなという熱を感じた。
私も例に漏れず、ラストのサビに差し掛かる頃には、流していた涙も限界量を超え、嗚咽すら出そうなくらいだった。
今までアーティストやチームに沢山巡り合い、その航海に連れて行ってもらった。どの航海も長く苦しく、結果「楽しい」という想いにさせてくれていた。
しかし、今回は明らかに違う感情を抱いていたのがわかった。
感謝や共感なんかでは言い表せないような、興奮、期待、感動...全てが合わさった様な、初めて感じたものだ。
約束という文字がはっきりした頃、
その答えはいつか同じ場所で聞いた、
「幸せとは...大切な人に降りかかった雨に傘を差せることだ」
という詞であることに気がついた。
生きる意味がここにあったという思いは何も誇張しているものではない、等身大なんだ。
全て終わった後に、走馬灯のような余韻が脳内を駆け巡り、4年分の思いをその席に置いて帰ることにした。
輝く推しとメンバーは嘘偽りなく、そこにいた。
どれだけ世界が、技術が進んでも、この日以上に”幸せ”を感じられる瞬間はないだろうなと。
また来年、きっと今度は誰も欠けずに、この場所に来れたら嬉しい。
その時もまた、この場所で泣かせてください。
HAPPY BIRTHDAY